十年ほど前、新穂高から双六岳を経て黒部五郎岳に登る計画を立てたことがあった。結局、雨で黒部五郎岳には登れなかった。しかし、心に残るいくつかの風景が私の中に残っている。
歩き出す日は朝から雨。鏡平から双六平まで行く途中には小止みの時もあったのだが、双六平キャンプサイトに着く頃には、悄然と雨が降り、垂直の線を描いていた。テントを設営し、荷物と体を中に放り込むと、いつの間にか濡れて冷え切った体は低体温症一歩手前の状態であった。慌ただしく夕食を摂り、着替えてシュラフに潜り込むと漸く人心地つけたのだった。
翌朝も雨が残っていたが、しばらくすると上がり、青空が見えてきた。しかし黒部五郎岳まで行くには出発の時間が遅すぎる、仕方ないので三俣蓮華岳までとした。コバイケイソウの当たり年だったのか、群落が大きく広がり、乳白色の花が輝いていたのを思い出す。三俣蓮華岳に近づくと、ハクサンフウロ、テガタチドリなどが咲くお花畑が広がっていて、ライチョウの親子が人を恐れることなく植物を食べていた。
夕方、双六の小屋付近から鷲羽岳の上空に不気味に渦を巻く雲が浮かんでいた。不安定な気象を象徴するような雲に思えた。そして、案の定、下山する翌日も雨に打たれたのだった。ただ、鏡平まで降りていった頃には雨も上がり、池の向こうに雲を纏った槍ヶ岳が見えるようになっていた。
遅ればせながら大学を卒業した私は、一年間F市の私立女子高で働いたことがある。そこでもらった最初のボーナスで二人用のテントを買った。当時流行っていたタイヤメーカーが出していた設営が簡単な吊り下げ式の山岳テントだった。 八月の終わりに休みをもらった私は、坊ヶツルに出かけた。初めてのテントを試してみたくて、私の初めての単独幕営山行に及んだのだった。と言っても、列車、バスを乗り継ぎ、長者原から雨ガ池を超えて坊ヶツルに入り、簡単な設営をし、夕食を作り、一杯飲んで寝ただけのことなのである。新しいテントが嬉しかったこと、テントを持つことで何かイッチョマエの登山者になったような気がして興奮していたのを覚えている。
翌朝、起きると外がどのようになっているのか気になって顔を出してみた。濃いガスがあたりを覆い、風に流されている。その濃淡で、近くの木が見え隠れしていた。景色といえるかどうか判らないが、呆然として見続けていた。
そして、少しだけ冷たい空気がテントの中に入り込み、私は夏の終わりを感じたのだった。
このテント、我が家の収納にいまだに鎮座している。
雲ノ平は広大にひろがる溶岩台地で、ハクサンイチゲやヨツバシオガマの群落が広がるライチョウの楽園、そして、人にとっては天国のようなところである。前々日に折立から太郎平、前日に太郎平から黒部五郎岳を経て、黒部五郎小屋へ、そして、その日、三俣蓮華岳を経て雲ノ平へやってきたのだった。テントを設営した後、時間があった私たちは、遠くにぽつんと建つ雲ノ平小屋までカメラを片手にぶらぶら散歩した。この小屋、景観にマッチしているようで、どこか現実味が欠けるような気がする、宮崎駿のアニメ映画に出てくる建造物のようにも思えた。
道すがら横を見ると、昨日雨に中で頂上に立った黒部五郎岳が長い尾根をのびやかに伸ばした姿が見えた。カールを抱いたその姿は、三俣蓮華から見ると正面から相対するといった感があり、雲ノ平から見れば端整な横顔を覗かせているといった趣があった。遠くに笠ヶ岳がその名の通りの姿で見えていた。
夕方、テントの中で残ったウイスキーを楽しんでいると、外からIさんが呼んでいるので、あわてて外に出てみると五郎岳に纏わり着いた雲が赤く燃えていた。
翌朝も五郎岳の頂は雲に隠れていたが、清冽な朝の空気と流れてゆく雲と黒部五郎岳の姿は、前日夕刻の岳の姿と併せて忘れることができない。
背の低い樹林の中、急な岩場を登りきると、ポンという感じで頂上に出た。登っている途中は風の音が頭上で聞こえていたが、頂上では風に翻弄された。服がばたばたと音を立てて、身体が持っていかれそうになる。そして、寒い。周辺の岩や木々にはエビノシッポがびっしりと付いている。頂の周りは一面雲が覆っている。
ここ雲仙普賢岳は周りを海に囲まれた半島の中央に立っている。海から季節風が雲を伴って押し寄せてくるから、雲が多いのだ。だから、雲仙と言うのか・・・、そんなことを考えながら周りを見回すと、天草のほうから陽が射しているが、暖かくはない。反対に影が伸びて雲まで伸びている。雲の上に写る自分の影の周りを円形の虹が囲んでいる。ブロッケンと言うより、ご来迎だなと私は呟いた。ここで修行を重ねていた山伏達はきっと「ご来迎」と言ったのだ。夏の日本アルプスで見ることが多いが、冬の雲仙で出会ったのが、少しばかり嬉しかった。
長居は無用とばかりに、早々に頂を去った。エビノシッポは雲の忘れ形見なのだ。
頭上の雲が次々と流れていった。憧れの頂には私一人。ようやく立てたという思いと、あわただしく下山しなければならないという思いが交錯する。
前日の雨は夜半に上がり、厚い灰色の雲が押し寄せては去っていった。ここ、トムラウシの頂から北を見ると、雲が掠めている旭岳から白雲岳、高根ヶ原から忠別岳、そして化雲岳が見えている。一昨日まで歩いてきた山々だ。足元には、大きな氷山を思わせる雪渓と北沼。そして、昨日ヒサゴ沼から雨の中歩いてきてテントの中で一日ごろごろしていた南沼のキャンプサイトが見える。さらに、南には十勝連峰が連なっている。一番近くのオプタテシテの見事な三角錐。どこまでも広がる山々、そしてその麓にどこまでも広がる黒々とした森。北の大地の只中を歩く一人の山旅が今更の如く実感される。
テントに戻り、下山することにした私を、コマドリ沢の長い長い泥濘に難渋したトムラウシ温泉への道が待ち受けていた。ヒグマの影に怯え、ナキウサギの愛らしさに心打たれた山旅であった。
十一月初め、金曜日に冬型の気圧配置が強まり、山々に降雪をもたらした。土曜日に犬ヶ岳を計画していて、私の心は踊った。
求菩提資料館上の駐車場から歩き出す。期待したほどの積雪はない。それでもウグイス谷の上の林道に出るとようやく雪を踏みしめて歩くようになり、求菩提山の紅葉が見えている。しかし、犬ヶ岳の方は雲に隠れたままである。林道からゆったりとした斜面を笈吊峠へ至る。そこからの岩場にはうっすらと雪が積もり緊張を強いられる。稜線に出ると積雪が深くなる。上昇気流が裸になった木々の枝を揺らしだす。天気が回復しているのだ。雪の付いたシャクナゲの枝が行く手を塞ぎうっとおしい。ウールの手袋を用意してこなかったので、雪を払う手が冷たい。それでも構わず突き進むと、やがてシャクナゲの雪の枝から突然開放され、同時に犬ヶ岳が雲を払ってゆくのが見え、思わずシャッターを切っていた。
枝に乗った雪の白と、空の青のコントラストが強烈であった。
イブキジャコウソウ
道の記憶
山の道を歩いていた時に私は何を考えていたのか。不思議に何十年も過ぎたのに憶えていることがある。
それとは別に、その景色に息をのみ、美しさ壮大さに我を忘れた時もある。そう、あの坂を登り切った所に立てば、その景色が目の前に広がる。そんな記憶も山道を一歩一歩重ねたことで得た記憶なのだ。
例えば・・・。
まだ誰も歩いていないだろうと思ってやってきた雪の稜線。残念ながら私の目論見は外れて、誰かがしっかりトレースを残していた。それでも昨日までの雪と違ってしっかり晴れて、陽光が降り注ぐトレースには、どこかしら希望が感じられた。アップダウンをキックステップで辿る私の足取りは軽快だった。
明るい雪の道を登っていると、目の前の小さなピークの下に空が見える。何だか自分がとても高い山の頂きにいるようなそんな錯覚さえ覚えて、思わず笑みを浮かべてしまう。
あるいはまた。
日本アルプス三、大急登と言われる道を登った時、若い時に登ったことがあるが、あの時は今のき
つさを感じた記憶がない。齢を重ねたことを実感しながら、心は不安を感じ、思いは揺れていた。
木々の間から覗く遠くの景色から標高を稼いだことを確認すると、いけるかも知れない。そう心を奮い立たせる。森林限界を超えた時、目線を上げると、目指す頂きがずっとずっと上に覆いかぶさるように見えた時は、膨らんでいた気持ちがパンクしたように萎んでいった。ザックを下ろし水を含みながら、自分に問うていた。いけるのか、本当に俺は頂きにたどり着けるのか。
あるいはこんな。
主峰を越えてあまり人の歩かない縦走路の先にある雪の名が付けられた峰へ歩いていた。
最低鞍部の少し先にそのお花畑はある。君は「これがハクサンシャジン、あれはタカネマツムソウ」と花の名を僕に教えてくれた。忘れられたようにひっそりとした場所にあるお花畑は美しかった。そして、そこに立つ君も若々しく輝いていてとても美しかった。
あの時、僕は山を歩き続けることを心に誓った。山の美しさを追い続けるために歩くことを。
しかし、僕を山の美しさへ導いてくれた君は、もういない。僕はお花畑に立つ美しい君を見ることが出来ない。
あるいはそんな。
ハイマツの海の中、ザアザアと降る雨の音に交じって、時折ザッという音がする。その度にヒグマではないかと肝を冷やす。雨で視界が限られたハイマツの海のように感じられる中を、一体どこまで歩けばいいのか分からないまま、おぼつかない足取りで私は歩いていた。
主峰を越えて外輪山の縁の小さなピークを三つほど越えたあたりから降り出したのだった。北の山の雨は夏とはいえ、冷たくトレッキングポールを持つ手は凍えていた。先ほど見た標識で間違えてはいないことを確認したが、後どれほど歩けばいいのか。夕暮れまでにはまだ時間があるはずだが、心なしか暗くなってきたような気がする。激しさを増す雨を降らす雲が厚くなったせいだろうか。
初めての山で、私の心は押しつぶされそうになっていた。雨にけぶる道の先は見通すことが出来ない。しかし、とにかく歩き通すしかないのだ。いつか辿り着くさ、そう自分に言い聞かせると、心の中に蔓延っていた黒いものが、少し引いていくのを感じた。
あるいは・・・。
森林限界を越えて、小さなピークに立つと、本峰を取り巻くカールがすっきりと山体を削り山全体を絶妙な優雅さに作り上げているのが判った。
同時にここからはこの国の第一位と二位の高峰が背比べをするかのように並んで見える。本峰への道は両側をカールが削っていてすっきりとしていて高みへと導いてくれている。
三千メートルを越えて、少し薄い空気の中をやや喘ぐように歩を進めていると、頂上直下の窪地に小さなお花畑があることに気が付いた。イブキジャコウソウやセンジュガンピが所狭しと咲きそろっていた。
高山の寒冷な場所で命を太古から繋いで植物たちに、いとおしさと尊敬の念を感じた。
あるいは、でも。
そこが頂ではないと判っていても、頂であることを期待してしまう、そんな山がある。
常念岳。乗越からのルートを夜明け前にヘッドランプを頼りに歩き始め、ジグザグに作られた道をひたすら標高を稼ぐ。左手八ヶ岳から太陽が昇り、右手に見える槍ヶ岳が赤く染まる。太古から繰り返されてきた一日のはじまり。
随分標高を稼いだ気になっているが、まだまだジグザグ道は上に伸びている。そしていつの間にかその先のピークを頂上と思いこんでしまっている。あるいは、あそこまで登れば登りの労苦から解放される。勝手にそう思いこんでしまう。そんなことを何度思っただろう、花崗岩の岩くずだらけのジグザグを幾つ曲がっただろう。
やっと着いたピークは頂上ではなくニセピークで、振り仰ぐ先に本物の頂が高く聳えている。残った体力と気力を振り絞って折り重なった大きな岩をよじ登って、やっと狭い頂へ。
深い谷を隔てて穂高の峰々、大キレット、南岳から槍ヶ岳、黒部川をめぐる峰々、遠くに立山から剣岳、後立山の峰々、そして昨日歩いてきた大天井岳から燕岳・・・、ぐるっと大展望が待ち受けていた。
影常念が穂高の足元まで延びている。頂には、必ず憩いがあるのだ。
あるいは例えば・・・。
若い頃、牧歌的な山すそを鼻歌交じりで歩いた記憶がある。そう言えば、近頃そんな牧歌的な雰囲気の山を歩いたことがない。そんな山に出会えてないのか、そんな山がなくなってしまったのか。
湧蓋山の麓には牧場の中に道があった。所々に牛の糞が落ちていて、踏まないように気を付けて歩いたものだった。今はもう牧場として使わなくなったのだろう、おそらく外国から輸入した種が生長した牧草が一面に生えている。機械で刈って、丸めて飼料にしているに違いない。牛がいる証拠がなくなってしまい、湧蓋山の魅力が一つなくなってしまったような気がしている。
確かに山はいつまでもそこにある。しかし、山の魅力の要素の幾つかがなくなるのは淋しいものである。それがたとえ牛の糞であっても。牛の糞と侮るなかれ、湧蓋山の牧歌的な魅力だったのだから。何人かで牛の糞を踏まないようにワアワア言いながら登るのは楽しかったのだから。
例えば、また・・・。
美しい山の記憶は、少しずつ変容しながらも失われ消えることはない。
鹿島槍ヶ岳。爺ヶ岳を少し越えたあたりから見える双耳峰とそこに至る稜線が描く弧の絶妙な構成は眼に焼き付いている。眼を左に転じると、剣岳とその胸壁に刻まれた雪渓が黒部川の向こうに見える。
峰に至る稜線に付けられた道は何ともすっきりしている。道の脇に花々が咲き、歩く者はついつい歩を停めてしまう。そう言えば、私も見つけた高嶺薔薇を剣岳を背景に写真を撮った記憶がある。
頂から振り返ると、信州側から雲が稜線の際まで湧きたゆたっている。夏山の風景だ。北側には後立山の峰たちがひしめき合って、南に遠く穂高や槍まで見通すことが出来る。
去りがたい想いを残して頂を後に、あの美しい稜線の道を辿ったのだった。