マンサク
久住山へ
2015年冬
2015年1月は体調と日程が折り合わず、登ることが出来なかった。そして、2月7日、久住山。私の登り初めとなった。
遅くたどりついたので、牧ノ戸峠には駐車スペースはなく、瀬ノ本側に少し下った路肩に駐車した。折からの寒波(もう死語かもしれない)で、山には十分な積雪がある。青く澄み渡った空、殆ど無風の天候は心を浮き立たせてくれる。沓掛山の中腹まで登ると一気に展望が開ける。すぐ近くに三俣山が高く白く聳えている。その下に長者原、ずっと遠くに由布岳、北を見ると湧蓋山がみな雪化粧している。沓掛山まで登ると風が吹き出した。そして、少しずつ雲が山の頂を隠すようになってきた。予報どおり天気は下り坂なのだ。雪の感触を楽しむように歩く。ミヤマキリシマの低い木々にエビノシッポが張り付いて、蔵王あたりの樹氷、モンスターのようになっている。扇ヶ鼻の分岐を過ぎ、星生山を左に見るころには、余り先まで見通せないようになっていた。避難小屋前で小休止。暴風防寒の身支度を整えて出発。久住分れ辺りでは風が雪を吹き飛ばしてしまっていた。
久住山の登りに入ると、ますます風が吹き荒れ出した。体感温度がぐんぐん下がる。露出した顔の鼻先と、フリースの手袋をつけた指先が冷たく痛い。オーバーグローブをつけると幾分冷たさは和らいだようだ。息を吸って吸って吐いて吐く。これを繰り返しながらキックステップで登る。やがて傾斜がゆるくなり、頂へつながる稜線に出る。風は暴れまくる。やがて頂へ。視界はない。頂上の標識のすぐ北側には、雪が吹きだまっている。三々五々写真を撮ったりした後、下山。一時近くになっていたが、昼食は避難小屋で摂ることにする。途中、風でトレースが殆ど消えてしまっているので、地形を思い描き、方向を間違わないように注意して下った。
小屋でほっと一息。冷たいけれど、エネルギーを補給していることを実感しながらおにぎりを頬張る。Tさんが毎度の山行に用意してくれる燻製入りのおにぎりに舌鼓を打つ。
小屋の外に出て、出発。狭い小屋でじっとしていた間に、脚の筋肉が固まってしまっていた。歩きづらい。それでも歩きながら少しずつ足のリズムを取り戻した。緩やかにアップダウンを繰り返しながら続く牧ノ戸峠への道を、雪の感触を楽しみながら下山した 。
少しばかり登り応えのある「登り初め」となった。途中マンサクの木に小さな蕾が雪に隠れているのに気が付いた。植物は春の準備をしっかりしているのだと思った。
追伸。下山の途中、ブチッという音を立てて、アイゼンのバンドのつなぎ目が切れた。アイゼンを買い直すと数千円かかるので、後日ホームセンターで「カシメ」なる物を買って修理した。案外うまくいったので、数千円の分だけにんまりしたのだった。
紅葉樹林
雲仙へ
2014年秋
半島の付け根あたりで、小さな雨がフロントガラスに落ちだした。予報では朝から回復すると言っていたが、遅れているようだ。
九月十三日、雲仙・普賢岳。私にとっては故郷の山であるが、同行の三人にとっては、少しばかり遠い山ということになる。噴火から二十数年、ようやく落ち着いたので二・三年前に溶岩ドームの横を通る新しいルートが開かれたが、まだ歩いたことはなかった。そこで、今回の山行を思い立ったのである。今まで歩いたことのなかった山やルートをできるだけ歩こうと考え、その第一回目に選んだのが、この普賢岳周回コースだった。
ようやく辿りついた仁田峠には、冷たい風が吹いていた。あわてて用意し、出発する。ロープウェイ脇から山道へ。普賢岳もドームもガスの中だ。風も当たらず静かな山道をアザミ谷へと歩を進める。ソバナの淡い水色の花がゆっくりと揺れている。五年前、北アルプス双六岳から新穂高温泉への下りに会ったきりということは憶えているのに、なかなか”ソバナ”の名前が出てこないで困った。
紅葉茶屋で一休み。後で知ったのだが、普賢岳の紅葉は「紅葉樹林」として国の天然記念物に指定されているらしい。なるほど、紅葉茶屋が昔はあったのかも知れない。ここから普賢岳や国見岳へは行かず、普賢岳の北側を周回するコースへ。しばらくいくと風穴があり、冷たい空気が出てきていた。途中、2箇所ほど氷室跡があった。そんなところをのんびり見ながら歩いていると、大きな岩に巨大な蛸がその足を這わせているような光景が目に入ってきた。ヤマグルマという樹木らしい。案内によると、1科1属の樹木で1種だけで、トリモチが採れるということだ。そのへばり付き方に圧倒された。
この頃になると、ガスもとれて、景色がうっすらと見えるようになり、足元に広がる有明海、その向こうの熊本や天草、北の方角に横たわる五家原岳や多良岳の眺望を同行の三人が展望を楽しんでくれているので、ほっとした。二つ目の風穴を過ぎたあたりで、山には珍しい「一方通行」の標識がある。そこから胸突き八丁とはこのことだと言わんばかりの急な石段をぐんぐん登る。ひょいと出た所は溶岩ドームのすぐ脇だ。目の前に大小の溶岩がうず堆くわだかまっている。所々から噴煙か湯気なのか分からない白い気体が上がっている。ドームを普賢岳頂上から見たことはあったが、こんなに近くで見たことはなかった。ど迫力である。
そんな時、「噴火したらどうしよう・・・」誰かが呟いたときには、そんな事はないと思ったが、二週間ほど後に御嶽山がいきなり噴火した。無数の噴石が落ちてくる、火山灰が火砕流のようになって追いかけてくる。視界を失い、呼吸が出来なくなる・・・。地獄のような状況は想像するだけでも恐ろしい。亡くなった方たちの冥福を祈るばかりである。火山は温泉や豊かな自然を恵んでくれるが、同時に災害ももたらす。そんな国に私たちは生きているのだ、と再確認させられた。
ドームを目の前にした小高いピークで昼食を摂る。ここから見ると、谷を隔てて普賢岳が対峙している。その向こうに国見岳や妙見岳。複雑な地形は溶岩ドームであったり、爆裂火口の一部であったりするのが分かる。雲仙という名の火山共和国なのだ。新参者の平成新山が一番大きな顔をしているということか。
途中、ダイモンジソウの群落を楽しみながら、普賢岳へは案外簡単にたどり着いた。その頂上からは妙見岳、国見岳、踵を返すと平成新山が深い谷を隔てて取り囲んでいるのが見られる。好きなだけ写真を撮って、あとは下山する。けっこう急な岩場の道をみんなとんとんと下り、あっという間に紅葉茶屋を経て、アザミ谷、そして仁田峠へ。
秋本番にはまだ早い普賢岳山行を、同行の三人はどんな感想を持ちかえったのだろう。また登りたいと言ってくれれば嬉しいのだが・・・。
十月二十五日。私は再び普賢岳に向かった。島原の実家に帰る前に普賢岳に登ろうというのだ。今回は下の池の山園地駐車場から歩き出す。仁田峠までプラス三十分ということになる。天気は快晴、山は錦繡、心は逸る。が、気温が高くて汗が噴く出す。仁田峠に着くころには一汗かいていた。
前回と同じルートを歩こうとアザミ谷に歩を進める。真っ赤な実が沢山ついているマユミを何本も見かける。見上げる普賢岳の周辺は赤や黄で粧っている。アザミ谷あたりはすでに色付いた木もあればいまだ緑を残している木もある。ゆっくりゆっくり味わうように歩を進める。それでもいつの間にか紅葉茶屋に着いてしまう。振り返ると、黄色く色付いた樹の向こうに赤いミヤマキリシマと思われる小さな木を沢山配した妙見岳が見える。さて、周回ルートに入ろうとした瞬間、黄色いテープが道を塞いでいるのが目に入った。脇の案内板に「先日の台風により大木が倒れ、道を塞いでいるため、通行出来ない」と表示してある。どうやら登山口やアザミ谷にも同じ表示があったようだが、見落としていたようである。
仕方なく、少し国見岳の方に歩き、普賢岳の北側斜面を眺めると、そこには、あっと息を呑む、正しく「紅葉樹林」がどこまでも広がっていた。
ミヤマキンポウゲ
柏原新道から鹿島槍ヶ岳へ
夜来の雨は歩き始めると、やがて上がった。柏原新道。鹿島槍ヶ岳に登るルートである。
はじめはやや急な所もあるが、全体的に緩やかで、よく整備されて歩きやすい。標高を上げていくと、道端にゴゼンタチバナの可愛らしい花が数多く咲いている。「石畳」「一枚岩」「水平道」等と名前をつけられた場所を通りながら、ゆっくり歩く。殆ど緊張するような場所もないよく作られた道である。途中振り返ると、出発した扇沢のバスターミナルとその向こうに針ノ木雪渓、針ノ木岳が見える。雪渓はとても急峻に見えるが、こちら側から見るからそう見えるのだろうか。
「鉄砲坂」と名付けられたまっすぐな坂を登ると、急に視界が開け、お花畑に飛び出す。コバイケイソウの大群落が斜面に広がっている。ぽつりぽつりとタカネスミレやコイワカガミ、チングルマ、ミヤマキンポウゲが入り混じって小さな群落を作っている。ミヤマキンポウゲのはっきりした黄とコバイケイソウの白が印象に残る。森林限界を越えたのである。一投足で今日の幕営地である種池山荘に着く。
夕食は、雲に見え隠れする針ノ木岳を眺めながら山荘前のテーブルで摂る。生ビールがうまかった。
(7/30)
夜半にテントの外に出てみると、満天の星空が広がっていた。登頂への期待が膨らんでゆく。
4時過ぎにヘッドランプを付けたまま歩き出す。爺ヶ岳の登りも緩やかである。ゆっくりと呼吸に歩みを合わせながら登る。標高を稼ぐとともに展望が拡がって行く。はじめ剣岳や立山が見えるようになり、鹿島槍の二つの頂が見えるようになる。爺ヶ岳頂上付近からの鹿島槍は美しい。さっきまで黒くわだかまっていたようだったのが、一瞬のうちに朝陽に浮かび上がる。冷池小屋の赤い屋根がアクセントになり、優美な稜線と双耳峰が絶妙なラインを描く。足下には背の低いアズマシャクナゲがずっと続いている。
冷池山荘から布引山へ。「あれが槍、あれが穂高、右のあれ、カールがあるのが薬師・・・」そんなことを言いながら登る。それにしても冷たい風が剣岳の方から強く吹いてくる。ジャケット代わりにレインギアを着る。ヨツバシオガマ、ミヤマシオガマ、タカネツメクサ、チシマギキョウ、タカネクワガタそしてタカネバラ。稜線沿いの登山道脇に花々が次々と姿を見せてくれる。頂上が近くなると傾斜が増し、やがてポンと頂上に出る。
頂上からは遮るもののない大展望である。東から雲海の上の富士山、八ヶ岳のギザギザした稜線と南アルプスのおおらかな山並み。乗鞍岳の右から北アルプスが広がる。穂高連峰、槍ヶ岳そしてその右に鷲羽岳など雲ノ平周辺の山々、そして薬師岳。立山につづき剣岳の峨々たる稜線。北を見ると鹿島槍北峰から八峰キレットの向こうに五竜岳、そのはるか向こうに懐かしい白馬岳と雪倉岳。信州側にガスがわだかまっている。写真で幾度となく見てきた光景である。
見飽きない光景に後ろ髪を引かれる思いで、下山する。
種池山荘のテントサイトでもう一泊。夜降り出した雨は断続的につづき、時折激しくテントを叩いた。(7/31)
翌朝4時過ぎに下山を開始。悄然と降る雨の中を黙々と扇沢に下る。下山後予定していたNさんの釣りは大雨と一緒に流れた。後は長い長い帰途が待っていた。(8/1)
ハクサン
トリカブト
燕岳から常念岳へ
今 回、若い頃山岳部の生徒たちと歩いたことのあるコースを計画した。
計画を立てるときに、経年 劣化という言葉を思い浮かべなかった。今回は最初からそのことを思い知らされることとなった。 8月4日、中房温泉の幕営地は快適である。そして、Iさんがわざわざ松本駅から肉屋を探して買 ってきてくれた信州牛?を焼いて食べる夕食は脂肪の少ない上質の赤身肉のうま味がたっぷりと口の 中に広がり、大変美味であった。
8月5日、AM5:00出発。合戦尾根の急登がいきなり始まる。稲妻形に切られた道をじわじわ 登る。暑くて汗が噴出す。それでも周りの樹木が少しずつ変化する。やがて亜高山帯に入ったのだろ う、黒々としたモミなどの針葉樹が目立ち始める。こうした光景から「日本の山」という言葉が浮か んでくる。しかし、第2ベンチから合戦小屋までが長かった。疲れが澱のように溜まってゆく。途中、 私はずっと懊悩していた。樹間から三角形をした大天井岳の頂上付近を斜めに横切る登路がはるかか なたに見え、心を大きく揺さぶったのだった。燕岳までは行けるだろう、しかし、縦走路を上下した 後、あの登路を登ることができるだろうか。途中には幕営地はない。歩き始めたら歩きとおすしかな い。あるいは、午後になり雷は来ないだろうか、稜線上では逃げ場はない・・・。確かに若い頃には 歩いている、しかし、それは三十年前のことだ。 合戦小屋名物のスイカを食べても、気力は湧いてこなかった。こっそり地図で縦走路のアップダウ ンを見てみる。「大下りの頭」というピークがある。そこから一気に下る。だから、また、2900 mまで登り返すことになる・・・。 結局、その日は燕山荘までとし、昼から燕岳でゆっくり遊ぶことをYさんとIさんに告げた。Yさん もIさんも意外とあっさり受け入れてくれた。感謝。 ご存知の方も多いと思うが、燕岳はフォト ジェニックな山である。山そのものもそうであるが、コマクサも多いし、風化した花崗岩や白枯れの ハイマツも目を引く。おまけに、この日の夕方はブロッケン現象や、すぐそばに弧を描く虹も見るこ とが出来た。 夕食は定番になりつつあるゴーヤチャンプルー。ゴーヤと高野豆腐、コンビーフのチャンプルー。 美味であった。PM8:00きっかりに就寝。
8月6日、AM5:00出発。日の出と同時に槍ヶ岳が赤く燃えだした。雲海の向こうに八ヶ岳、 富士、南アルプスが浮かんでいた。燕山荘の周りでは興奮した登山者たちが騒がしかった。 ここから大下りの頭までは快適な稜線歩きである。燕岳から伸びる稜線は白砂青松という言葉がぴ ったりだ。つくづく日本の山は美しいと思う。次第に槍や穂高が近づいてきて、心が浮き立つ稜線漫 歩である。 大下りを下ったら、大登りである。朝七時台というのに陽射しがきつい。厳しいアップダウンを繰 り返しながら大天井岳に近づいていく。表銀座のルートを拓いた小林喜作のレリーフは鎖とはしごを つたって下った鞍部にある。レリーフを見上げる足元にトウヤクリンドウの花が開こうとしていた。 ここから大天井岳への300mの登り。ゆっくり急がず歩を進める。上をなるべく見ずに、歩調に 呼吸をそろえて、ゆっくり息を吐く。そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか鞍部がはる か下に見えるようになっている。安曇野側に雲が湧き出している。昨日も常念岳方面は夕立が来たら しい。今日も来るのだろうか、心が急く。しかし、まだ登りは続く・・・。 大天荘の前はやすらぎに満ちていた。そして、槍と穂高は随分近くなっていた。大天井岳の山頂か らは迫力のある展望が得られた。槍の穂先は天を突き刺すようだし、「岩の殿堂」という形容がしっ くりくる穂高。2922m、今回の山行で最も高い頂である。 ここまで歩を進める中でも疲労は蓄積していた。横通岳(2767m)から常念小屋のある常念乗越 (2460m)まで下るのに難渋した。常念小屋の赤い屋根が近づかない。途中私たちを追い越していっ た高校生達のモスグリーンのテントが見え、彼らがくつろいでいる事を思い起こさせ何故か腹立たし い。やっとたどり着いた常念小屋のテントサイトで、コモのパンとマッシュポテトのサンドで昼食を とった。 一度解いた靴紐と歩く気力は、締めなおすことは出来ない。夕食までだらだらとテントや周辺で過 ごしたが、途中小屋まで出かけて買って飲んだビールは極上の味がした。(結局毎日ビールを飲んだ が、いつも極上の味だった。) 夕食はサラミのぺペロンチーノとトマトのスープ。これまた美味であった。唐辛子の辛さが疲労回 復に効いた。明日は常念岳の往復、その後一の沢を下る(エスケープ)ルートをとることにした。結 局、初日の短縮が計画全体に響いた形になった。まぁ、それも結果オーライにしよう。
8月7日、AM4:30出発。今日も快晴である。日の出の頃、振り仰ぐと槍ヶ岳が赤く燃えてい た。荷のない歩みは軽快である。ぐんぐん標高を稼ぐ。途中偽ピークにだまされたが、それほど常念 の頂きはそれほど遠くはなかった。 頂上には木の祠がある。祠の向こうに影常念、その向こうに青々と穂高の峰々がどっしりと座って いた。前穂、奥穂、涸沢岳、北穂、大キレット、南岳から槍、黒部源流の山々、立山や剣、後立山の 峰々(鹿島槍の二つの耳の間に白馬が見えた)、八ヶ岳、富士、北岳が目立つ南アルプス、一周して 噴煙が上がる御岳、手前に乗鞍・・・。「Iさん行くよ」と声をかけるがIさんは動こうとせず、生返 事だけが返ってくる。確かに立ち去りがたい思いが湧いてくる。南に伸びる稜線の先に蝶ガ岳が低く 見えた。 朝食と撤収の後、後ろ髪を惹かれる思いで、乗越を下る。胸突き八丁と呼ばれる急坂を下る。若い 人たちのグループが次々登ってきて、Iさんが一人の女性のリュックを正していた。流石にアドバイ スが的確である。最初の水場に「最後の水場」と標識がある。ほとばしる水が冷たくおいしかった。 小屋で買った水は値段と温度が高かったことを思い出す。沢沿いの道にはお花畑が展開していて、ト リカブト、シモツケ、キンコウカ、ソバナ、ヒョウタンボクの実が目を引いた。花々を見つけては撮 ることを繰り返してゆっくり下った。随分下った後、「王滝ベンチ」でリュックを下ろしていると、 すぐそばでおにぎりを頬張っている人が山岳写真家の三宅岳さんであることに気が付き、声を掛けて しまった。これから常念に登るとのこと。なぜか、彼はリュックを背負って歩き出しながら、こっそ り私たちを撮っていた。 大滝ベンチからは1時間あまりでタクシーが停まっている登山口小屋にひょっこり出て、3日間の 山行があっけなく終わった。その夜、松本で桜肉を堪能しながら飲んだビールは筆舌を超えるうまさ だった。 六〇歳初めての山行だった。若い頃のような興奮はなくなり、しみじみとした思いを抱くようにな った自分に気がつく山となった。そして、まだまだ山を続けることを自分に誓った山行でもあった 。
イワブクロ
旭岳を巡るお鉢の一角北海岳で一休みしていると、私と同じ単独行の男性が話しかけてきた。東京から来たと言う男性は「ここではコマクサは雑草だよ」と言う。利尻に登って、今日から旭岳を経て白雲岳、高根ヶ原、忠別岳、五色岳と歩いてトムラウシまでの縦走をして帰京するとのこと。私が黒岳から来て、これからのルートは同じであることを告げると何か気に障ったのか、「二兎を追う者、一兎も得ず、と言うけど、あんたもそうじゃないか」と私の大きくパンパンのザックを見ながら吐き捨てた後、じゃあと言って北海平へ颯爽と下って行った。残された私はおもむろに重たいザックを膝に乗せて腕を肩ベルトに通しながら初めて歩くルートを思い描いた。そして、呟いた。「二兎を追う・・・か」
礫地にキバナシャクナゲ、タカネスミレやイワブクロをぽつりぽつりと見ることが出来たが、北海平からはお花畑の連続だった。エゾノツガザクラやチングルマ、ヨツバシオガマなどが大きなお花畑を造っている様は、本州のアルプスに勝るとも劣らない。白雲岳と緑岳の分岐付近には男性が言っていたようにコマクサが咲き乱れていた。大きな株に育つまで三十年以上かかっただろう、そんなことを思い描きながら辿り着いた北海岳の頂上は噴火壁の一部だった。旭岳の方角には縞模様を描く雪渓が面白い。
分岐に戻り北海岳避難小屋に向けて歩き出す。下り坂になっているので重たいザックがどうしても肩に食い込んでくる。エゾノハクサンイチゲやウコンウツギが密生しているのも、大雪らしい。
避難小屋のテントサイトに幕営する。テントでないと私は眠れないのだ。あの男の言葉が蘇る。確かにテントを持たずに歩けば三キロ以上の軽量化できるだろう、しかし、テントでの縦走も私の拘りなのだ。
翌日は高根ヶ原から忠別岳、五色岳を経てヒサゴ沼までの長い道のりだ。高根ヶ原の入り口はお花畑が広がり、朝露に濡れた花々が朝日に輝いていた。スレート状に割れた溶岩を敷き詰めた高根ヶ原にはコマクサが咲き乱れていた。ふと、周りに誰もいないことに気が付き、ヒグマがいないか心配になり腰にぶら下げた鈴を鳴らす。どんどん歩く。まだまだ先は長い、しかし、足元に咲くリンネソウや開けた処に咲いているエゾゼンテイカは見落とさない。忠別沼にはエゾサンショウウオが沼の底を這っていて、岸辺にはワタスゲが風に揺れていて、静かな光景が心に沁みた。
それからの長い忠別岳への登りの礫地には、タカネシオガマやヨツバシオガマが盛んに咲いていたのを思い出す。北海平で見たキバナシオガマはここでは見ることが出来なかった。うんざりするほど長い登りの後辿り着いた忠別岳の頂からは360度の大展望が得られた。五色岳から化雲岳、崖を隔てて旭岳の方角が見られ昨日歩いたルートとこれから歩くルートが一望だった。そして目指すトムラウシが、今朝白雲岳避難小屋の幕営地からははるか遠くに見えたが、ぐんと大きく聳えて見える。頂上一帯は大きなお花畑になっていて、ヨツバシオガマなど今までの花たちの他にトカチフウロやエゾヒメクワガタが混じるようになっている。
五色岳の頂きで一休みしていると、雨蓋を閉め忘れていたザックの中にエゾシマリスが忍び込んで食べ物を物色していた。そんなリスを見たことがなかったのでしばらく眺めていた。やがてエゾシマリスは諦めて草むらの中に姿を消した。九州や本州の山でリスがそばに寄ってくることなどなかったので、少しの驚きと同時に北の大地では人を畏れない動物がいるのだと思った。
化雲岳が近づくと雪渓から立ち上る冷気で靄がかかっていた。深田久弥が化雲岳の頂きにある岩の上で一休みしたという乳首岩と名付けた岩は切れ落ちた岸壁の縁にあった。そこから長大な雪渓を下ってヒサゴ沼にようやく辿り着くことが出来た。雪渓の末端にショウジョウバカマが咲いているのを見つけ、ようやくここに春がやって来たのかと納得する。
ヒサゴ沼は雪渓の雪解け水が溜まってできた瓢箪型の大きな池だった。ヒサゴとは瓢箪のことだと後で調べて知った。沼のほとりに幕営して、ひと夜の宿にした。食事はフリーズドライのシチュウとα米だけ。それでも一日の山旅の疲れを癒してくれる。そして、とっておきのシングルモルトウイスキーが極上の気分にしてくれる。つまみは干した貝柱を少しづつ囓る。一日の行程を振り返りながら傾けるコップは心地好い酔いを与えてくれた。
夜半からテントをたたく雨音に起こされて、これからどうするか迷った。しかし、今日トムラウシの下にある南沼の幕営地まで移動しておかないと明日の行動が一層ハードになる。私はテントの中で荷物をザックに詰め込み、レインギアを着て後はテントを撤収するだけにして外に出た。途端に顔を冷たい雨が叩き出す。ペグを抜き、フライシートを取らずにポールをテント本体から抜き、持ってきていた大きなビニール袋に本体とフライシートを別々に丸めて入れた。
沼のそばの急峻な雪渓を、一歩一歩キックステップで登り、ようやく傾斜が落ちたところで振り返った。雨で滑りやすくなった雪渓を踏み外したら沼まで一気に滑り落ち、沼にはまり、冷たい水で心臓麻痺を起こす、そう思うと自分が危険なことをしていたことに気が付き、後から肝を冷やした。
晴れていれば池塘の脇にチングルマやエゾノツガザクラが咲き乱れ美しいだろう日本庭園と呼ばれる場所を過ぎると、流れ溜まった溶岩が水分の凍結膨張で割れた岩が積み重なるロックガーデンがうんざりするほど続く。雨は相変わらずしっかり降り続けている。こんなところで足を踏み外して怪我したらどうしようもない。気を引き締めて歩き通した。
急な坂を登り詰めたら北沼に辿り着いた。沼の半分は雪渓が覆いかぶさっている様は圧巻だ。北の山でしか見られない光景だろう。沼の縁の道を歩いて南沼の幕営地に辿り着く。幕営地と言っても何もない、小さな幕営指定の標識があるだけだった。降り続く雨の中、テント本体が濡れないようにフライシートの下で張り、ザックを放り込み、転がり込む。ようやく一息つく。寝袋に入ったまま、冷えた体を温めるように沸かした湯にウイスキーを入れて飲みながら、持ってきた文庫本を読んで一日を過ごした。
梅雨前線が北海道まで北上して降らせた雨は、前線の通過とともに夜半に上がった。まだ雲が残って暗い中をトムラウシに登った。ずっと憧れてきた山だった。どの登山口からも距離があり、簡単には登れない奥深さと孤高の雰囲気を漂わせている神遊びの庭にふさわしい山だと思っている。頂きから見渡すとどんよりとした雲の下に歩いてきた山々と南沼のはるか彼方に広がる森、更には十勝岳に至る南大雪の山々、はるか遠くに日高山系だと思われる鋭く尖った稜線の山々。
濡れたテントを撤収して歩き出す。トムラウシ公園と名付けられた場所には何もなかった。何故か〇〇公園と名付けるのが好きなのだろう。下りに差し掛かる岩場で一休みしていると、足元にナキウサギを見つけた。ちょうど食事中に出くわしたようで、逃げたり隠れたりしない。一二分位の出会いだったが、なんだかとっても嬉しくなって、思わず「一兎を得たぜ」と口走っていた。
それからのヒヨドリ沢の下りは、沢と名ばかりの泥濘だらけで難渋した。ザックを下ろして休むこともできない、腰かける場所もない、梅雨前線が北上した後に張り出した太平洋高気圧の陽ざしと湿気で蒸してきて、おまけに窪地には風が吹かない。五時間の苦闘の末、ようやくトムラウシ温泉登山口に辿り着いた。そこには予約しておいたトムラウシ温泉国民宿舎大雪荘があった。宿に入る時、もう歩かなくてよいという安堵と縦走の終わりの寂しさが私の心を占めていた。
初めての神遊びの庭縦走の単独行が終わった。
北海岳であの男が言った「二兎を追うもの、一兎を得ず」という言葉を思い出し、私は一兎も得なかったのかと問うてみた。いや違う、私は「亀の歩き」で二兎どころかもっと多くのものを得ることが出来た、と確信した。名を上げれば限りがない程の花々、山の奥深さ、大きさ、そこに生きる動物たち。そして、それらすべてを包括する圧倒的に厳しくも美しい自然。
私はそれから大雪山系に六年続けて通うことになる。毎年新たな発見と出会いがあり、寄せる想いは深まるばかりだった。カムイミンタラ、神遊びの庭で出会ったものたちは私の中に確かに根付いている。