ハス

S山の道迷い遭難


 
何の気なしに道を下っていたら、人っ子一人いなくなっていた。
そのことに気がつくと、やたらのどが渇いた。せせらぎの音がしたので、脇道に入ると、沢があった。
のどを潤すと、お腹が空いてきた。背中の小さなリュックにおにぎりが入っていたのを思い出し、食べると、今度は眠たくなった。沢のすぐ横に立っている樹に寄りかかり眠った。
 X中学2年生の恒例のS山登山。もう30年も続いている、伝統の行事であり、中3への通過儀礼であった。S山からの下山中、K峠の分岐で自分だけT市へ降りる道に入り込んでしまったのだ。気がついたときには、登り返してみんなに追いつく体力は、もうなかった。 
カナカナカナカナ・・・。ヒグラシが鳴く声に目が覚めた。少し暗くなっているようだった。脱力感が体中に広がり、ひどく面倒くさかった。考えることも、もちろん身体を動かすことも。だけど、少しも現実感はなく、悲しいとも淋しいとも思えなかった。
 
最初の2,3日は、夜が怖かった。暗闇がこわいというよりも、得体の知れない動物がやってきそうなのが怖かった。そう、夜の森にこうして13歳の乙女?が無防備でいることは、襲われる条件としては最悪だと思った。でも・・・、何日かすると怖くなくなった。というよりも、襲われようが、襲われまいがどうでもよくなったんだ。

あれから何日たったのだろうか。今日は8月の何日なのだろう・・・。そんなことも、どんなこともどうでもよかった。食べるものははぐれたあの日にすべて口に入れてしまった。もう何日もこうして沢の脇に座ったままでいる。時折、力ない手で水をすくって飲んでいる。他には少しも動いていない。何日も食べていないけれど、空腹感はなかった。いや、すべての生きている感覚がなくなっているようだった。ただ、不思議に時間だけが早く過ぎていくようだった。
 
時々いろんなことが頭の中に浮かんできては、やがて消えていった。
母さんがつくってくれたおにぎりは巻いてある海苔が香りがよく塩味が絶妙であること。父さんが靴を心配して、登山の前に一緒に買いに行ってくれたこと。今、その靴を履いている。私のことを心配しているのだろうなぁ。母さんも父さんもいつも優しくしてくれた・・・、今何も伝えられないのが悔しかった。小5の弟ヤスは毎日犬のゴンタを散歩に連れて行っているだろうか。本当は靖男というんだけど、ヤス、ヤスと呼んでいた。「ゴンとヤス」ってアメリカの大統領と日本の首相みたいだけど、家のヘッポココンビなんだから・・・。毎日のように姉の自分とケンカしてたから、もし帰れたら、少しは優しくしてやろう・・・。それから友だちのみんな、どうしているかな・・・。 何日目かの朝、数メートル上の方から声が聞こえてきた。「先生、○○先生。行方不明の中学生、この下の沢に降りていったんと違うやろうか」「ああ、そうかも知らんね」少し、心が動いた。助かるかも・・・。「降りて探してみましょうか」「いや、今は山の頂上を目指すのが先だ。下りに探してみよう」結局足音が遠ざかり、それから何時間たっても声が近づいてくることはなかった。 

 
 「皆さんのお父さん、お母さんのころからのX中伝統の集団登山です。一人の脱落者も出ないように、体調を整えて臨んでください。」と担任のG先生は言っていた。そして、当日体調もよく、山頂まではみんなと一緒だった。なぜはぐれてしまったのか・・・。そういえば、あの分岐がある峠近くで、私はきれいな蝶を見つけて、そう、ちょっと追いかけてしまったのだった。そのとき、きっと・・・。そこまで思い返すが、だからと言って、後悔する気持ちは湧いてこなかった。
 
目の前にブナと言うのだろうか太い樹が数本立っている。自分のすぐ脇を沢が流れていて、小さな滝に自分は座っている。自分から見える景色はなにも変わらない。そのはずだけど、時々母さんや父さんの顔が見える。弟ヤスや犬のゴンタの姿が目の前にある。夢なのか、幻覚なのか・・・。
母さんの料理はほとんどがおいしい。でもその中でもっともおいしいと自分が思ったのは炊き込みご飯だった。細かく刻んだ鶏肉や野菜とご飯の配分がよくて味もやさしい。あぁ、また食べたい。父さんは晩酌すると少し説教じみてくるところが苦手だった。でも、一生懸命家族のことを思っているのがわかるから我慢していた。温かいのだと思ってきた。またあの説教聴いてもいいな。最初に育った私と比べると弟は要領がよくてずるいと思っていた。でも、同級生から少しばかりいじめられていることを私の友達から教えられた。家族に心配かけないように、家ではちょっと腕白を演技していたのだと思う。やっぱりやさしくしてあげよう。柴犬のゴンタは夏になると暑さで一日中はぁはぁ喘いでいた。冷たくした水を手のひらでやるとき、ゴンタの舌が手のひらを撫でるのがくすぐったくて気持ち良かったっけ。帰れたら、思い切り撫でてやろう・・・。けど、帰れるかな・・・。
 
  少しずつだけれど、自分が小さくなっていくのがわかる。もう何日も食べていないからだろう。水分だけはいつでも取れる場所なので、体から水分がなくなるということはない、でも、生きているのだろうから、それなりにエネルギーを使っているのだろう。そうして・・・、いつかは・・・。
 
時々見たこともない風景が見えるようになった。
ここはどこなのだろう、目の前にハスの花が咲いている。大きな乳白色の花びら。その白さはどこかまだ幼いころ聞いたえらいお坊さんの話を思い出させる。その横にはつぼみもある。このつぼみは花びらの縁取りが撫子の花のような色をしている。向こうにはハスの葉が大きく波打っている。深い深い緑青の色だ・・・、中学の美術の先生が緑をそう呼んでいたっけ。静かな風景だ。何も動かない、動くものがいない・・・世界。ここは天国なのかしら・・・。
 
少しずつ小さくなっていく・・・。体はもちろん、呼吸や心臓の鼓動もどこかしら薄くなってきている。それから、気持ちというか精気というか、そんなものも気体になって蒸発していっているのがわかる。多分・・・、もう少しで・・・、死・・・。時折、幻聴のようなものも聞こえる・・・。脇の沢のせせらぎや鳥の鳴き声に混じって、「羽生の宿」や「菩提樹」をおおらかに歌う女の人の美しい声が聞こえるようになった。もうじき死ぬのだろう・・・。なんだかとてもきれいで、幸せな世界にいけるような気がする。それって天国なんだろうか・・・。
遠くで人の声がする・・・気がする。またいつもの幻聴よ、でも、あの女の人の歌声じゃなくて、ざわざわした多くの人の声だ・・・。男の人たちのこえだ・・・。次第に近づいてくる・・・。心が浮き立つ・・・。もしかして・・・、ひょっとして・・・、耳がおかしくなってしまったんじゃなくて、ほ、本当に人の声だ・・・、おぉい、おぉいと呼んでいる。何か叫ばなくては・・・、だめだ、声にならない・・・、やっぱりもうだめだ・・・。そこまで人が来ているのに・・・。あ、でも、でも・・・、だんだん声が大きくなるような気がする・・・。気のせいだ。もう何日も誰も見つけてくれなかったのだから・・・。見つけてくれるはずはない。いや、だんだん近づいてくる!間違いないっ、人だ、助けに来てくれたんだ!あぁ、あぁ・・・、助かるんだぁ・・・! 


ハクサンコザクラ

日本海を通過する低気圧が予報よりも速く移動したようで、ここ脊梁山脈の西端のA岳へ至る稜線をみるみるガスが覆い、雪化粧してゆく。秋の終わりとは言え山肌を赤や黄に染め抜いていた木々を白く塗り込めてゆく。見る間に積もってゆく雪はすでに足首あたりまでの深さになっていた。
どうでもよかったのだ。一応登山届にはA岳からB岳まで縦走して、G県側に下山する計画を記入していたが、登っても登らなくてもよかった。本当は、仕事も、これからの人生もどうでもよくなっていた。派遣会社に就職してあちこちの会社で働く毎日だった。収入も増えない。休みはただ部屋でごろごろするだけ。付き合う異性も見つかりそうにない。思い切って申し込んだスマホの交際アプリでも誰一人相手などしてくれなかった。将来に展望などと言うものが全く見つからなかった。ただ一つ、時折登ってきた山だけが傷だらけの心をいっとき癒してくれた。
だから、A岳にも登る意欲などなく、ただだらだらと登ってきたのだった。しかし、雪がどんどん積もってゆくのでA岳避難小屋に辿り着くことに必死になっていた。やがて、危うくホワイトアウトになりそうな状況の中で、ぼんやりと避難小屋が浮かび上がって見えた時は、必死に歩き出していた。
鉄の扉を開けると、土間と板張り、2階に上がる梯子が見えた。殆ど同時に奥の部屋から管理人が出てきた。無精ひげに鋭い眼光の男はすぐに笑顔になり、「このガスと雪の中、よく迷わずに来れたな」と言った。「今夜はあんた一人だから、好きに使ってくれ。それにしてもこの爆弾低気圧は、今夜もっと雪を降らすだろうから、明日行動できないかも知れないな」宿泊料を払い記帳している私に話した。
日が落ちたのだろう、小屋の気温が急激に下がってゆく。俺はあわててダウンジャケットを羽織り、ヘッドランプをたよりに夕餉の準備をした。夕食と言っても、フリーズドライの野菜とベーコンのスープとα化米の簡単なメニューだ。
食事を終え、持ってきた地図を広げて見ていると、管理人が一升瓶を抱えて部屋から出てきた。「どうや、一杯やらんかね」「はい、いいですね。俺も持ってきています」とウイスキーを入れたザックから引っ張り出した。睡眠薬のビンが一緒に飛び出したので慌ててザックにしまい込んだ。管理人に見られたかと思って彼の方を見ると、素知らぬ顔をしていたので安心した。
実はサイコロを振りにこの山に来ていたのだ。生活に限界を感じていた。だから、「続ける」「やめて一から出直す」「自死する」そのどれかの目にしようと決めていた。自死するときには、山のどこかで、睡眠薬とウイスキーを一緒に飲んで安らかに死ねばいいと思っていた。
器に酒を満たして飲み干すと、昼間の疲れが心地よく解けてゆくようだった。
管理人も少し顔を赤らめているのが判った。そして語った。「俺は三十年ここの管理人をしている。冬は俺も下りて、T平スキー場で働いている。もう今年も下りなければならない時期になった。ここは冬山の登山者のために鍵は掛けないけどな」ろうそくの炎に浮かび上がるその顔のしわには三十年のこの小屋の歴史が刻まれているように思えた。
彼は続けた。「管理人ってのは、よっぽどその山が好きでなきゃ勤まらないんだ。登山者の中にはとんでもないのがいる。旅館と勘違いしているやつもいて、あれをしてくれ、飯を食わしてくれというやつがいる。でもな、俺はこのA岳が好きなんだ。朝陽に燃える山々、春の雪解けと同時に咲き出す花たち、夏の花畑、生を謳歌するような鳥たち、晴れた夜の無数の星々の瞬き、そんな山のすべてが好きなんだ。だから、三十年やってこれたと思っている」酒が回って彼は饒舌になってゆく。「ただな、やっぱおロクは拝みたくないもんだ。山岳救助隊から応援要請があれば行かにゃならない。そん時は、いつも生きててくれって願うんだよ」
この脊梁山脈は日本海から季節風が吹き付け大量の雪を降らせる。G県側には無数の雪崩が落ち、永い年月を掛けて巨大な岩壁を形作った。クライマーの聖地と呼ばれ、いくつもの有名な登攀ルートが拓かれた。同時に、難ルートに挑戦し破れ命を落としたクライマーの墓場にもなっている。遭難が起きる度、山小屋の管理人として、道義的に遭難救助に出かけているのだ。
幾つのもおロクに出会ったけれど、このおロクには驚かされた、と一口酒を傾けた後に彼は語り始めた。
ローソクの炎がすきま風に揺らいだ。「もう十五年になるか。丁度今日のように紅葉が終わりかけた頃だった。昼過ぎから雪が突然降り出して、みるみる山に雪が積もってしまった。その日、二人の男女だけが小屋に泊まった」彼はろうそくの炎を見つめながら続けた。「この二人は訳ありだなと思った。管理人を長くしていると、登山者がどんな人間か、どれくらいの力量があるかすぐ判るようになる。ただその二人は確かに力量はあるが、二人の関係や山に対する意識が見えてこなかった」彼は語り続けた。二人は翌日早くに支度を整えて小屋を出ていった。出ていく時にも、きちんと礼を言って笑顔でB岳に向けて出て行ったという。その朝は風雪もおさまり、山全体が朝日に輝いていた。
三日ほど経って、地元の警察からその二人がどこにも下山していないと連絡が入った。山岳救助隊や彼がG県側の百倉沢あたりを懸命に探したが、見つからなかった。雪崩の二次遭難が危ぶまれて、捜索は中止された。冬が訪れ、脊梁山脈を雪が埋め尽くした。
その二人はどうなったんですかと尋ねると、「二人はな、百倉沢じゃないところで見つかった」
この脊梁山脈はG県とN県の県境になっていて、G県側は深い岸壁、N県側は比較的緩やかな斜面になっている。いわゆる非対称山稜である。彼は一口酒を口に含んで「翌年の春、雪解けが進んだ頃、連絡が入りA岳とB岳の間のN県側の斜面に人間の頭と思われるものが二つ雪面に出ているということだった。慌てて駆けつけてみるとあの日小屋に泊まった二人の白い顔が寄りかかるようにして雪の上に出ていた」二人が見つかった凹地を掘り出してみると、二人は雪の椅子に並んで腰掛けていた。雪で低温のまま腐敗することなく保存されていた。二人の表情は白ざめていたが、穏やかだった。
 「その時俺は思った。二人にはここが安住の地で、安らかになれたのだと。下界で何があったか知らないが、どんな思いで生きていたのか知らないが、二人がどう互いを思ってきたのか知らないが、あの雪が吹きだまる凹地で、何にも邪魔されることなく二人でいられたんだと」
二人の足元にはウイスキーと睡眠薬の瓶があったという。管理人が感じたことは救助隊も同じだったようで、二人は並んだままヘリコプターで降ろされたという。しかし、計画書と小屋に届けた二人の名前と住所は偽物だった。結局二人は誰なのか不明のままで処理された。
二人が見つかった雪渓の近くは、雪解けが進んだ所ではハクサンコザクラが咲き乱れていたという。
翌朝、眠れない夜を過ごし重たい体で、降り積もった雪をかき分けながらA岳に登った。二人も見たであろう朝日に輝く新雪の山々を見渡しながら、俺はすでにサイコロを振っていた。
出た目は「もう一度やり直す」に決まっていた。
昨晩、管理人は二人の心中の話を終えた後、俺に「あんた、サイコロを振ろうとこの山に来たんだな」と言った。ギョっとした俺に「サイコロの目は、『ここで上がり』にしないか」彼は俺のザックから睡眠薬が落ちたのを見逃さなかった。だから、心中した二人の話をしたのだ。
 「もう今年は小屋を閉じるが、来年の春この小屋に来ないか。一緒に管理人をしてくれないか。もう俺も年だし、後継者を見つけにゃならん。割のいい話じゃないが、下界であくせくするよりマシだと俺は思う。どうだ」と続けたのだった。
俺は踵を返すと小屋の下に続く昨日登ってきた白く輝く稜線に向けて歩き出した。
 
*お詫び     ストックにハクサンコザクラの適当な写真がありませんでした。代わりに近い種のエゾコザクラを使いました。


 リンネソウ

   やられた。

ずんっという音がして見上げたら、大きな雪の斜面がゆっくりと動き出してこちらにやって来る。雪崩だ!そう思った瞬間、僕の体はめちゃくちゃに弄ばれていた。
 3月のY岳はまだ雪が閉まっていて、雪崩の危険は少ない、大丈夫だと踏んでいたが、新しく降った雪が表層雪崩を起こしたようだ。あの斜面をトラバースするとき、ちょっと頭をかすめたのだが・・・。
気が付いたら、こうなっていた。何も見えない、雪の中に閉じ込められてしまったのだ。全く身動きが出来ない。幸いと言うべきか分からないが、頭の周りに小さな空間があって呼吸ができる、でも大腿骨は折れているようだ、ひどく痛んだ、その先の脚はどうやら反対を向いてしまっているようだ。それに、あばら骨も折れていて、胃に刺さってしまっているようだ、血液がどくどくと内臓に流れ出ているのが分かる。激痛で気が付いたのかも知れない、でも、少しずつ痛みがやわらいでいる、きっと雪に冷やされたのと血液が不足してきて意識が遠のいているのだ。
そうだ、君に渡す指輪をアパートに置いてきたのを思い出した。少ない貯金をはたいて用意した君に結婚を申し込むための指輪。あの指輪、どうなるのだろうな、他人事みたいに今、感じている。僕の命は、どうやらこのまま閉じてしまうのだろう。
だから、残った時間、意識が続く限り君に話そうと思う。これから何十年も、君と話して、君の声を聴いて、一緒に笑って、一緒に泣いて、君に触れて過ごすはずだったけど、どうやら無理になった。だから、意識があるうちに君に話そう。誰も知らない雪の下で話す僕の声にならない声は、君に届くだろうか。だめと分かっていても話すしかない、意識と酸素のあるうちに。
君は憶えているだろうか、雪の北八ヶ岳の縦走。雪が降り積もる夜、テントの中で君がスマートフォンに録音してきていたパッヘルベルのカノンを聴きながら、見つめあったこと。あの時、僕はこの上ない幸せを感じ、君を守り君と生きていくことを決心していた。山が僕と君をどこまでも純粋にしてくれて、二人の心が結ばれていたんだ。
 「会いたかったんだぞ」とあのとき優しく君は言った。少し長い出張から帰った僕を待ち焦がれてくれていた君はそう言った後、口籠る僕にくちづけた。何故そんなことを思い出すのだろう、君と数知れず口づけてきたのに、今こうしていると思い出さずにはいられないのは何故だろう。それと、あの時の君の唇の感触も、君の香りもまざまざと蘇ってくるんだ。
少し痛みがおさまった気がしている。それはきっと雪に冷やされたこと、それにもしかすると、頭の周辺の空間の酸素が少なくなってきたのかも知れない。
 「私ね、この指、とっても好きなんだ」と抱き合った後互いのからだに触れあいながら余韻に浸っているときに、不意に僕の手を取って、指を絡めてきて言ったのだった。「たくましくて、それでいて繊細なところが好きなんだ」。僕のより長くて細い、美しい君の指が僕は好きだ。だから、君の指の感触を思い浮かべている。あの時二人はアメリカ先住民の伝統的な模様を織り込んだブランケットを被っていたのまで覚えている。
あれは3月の終わりだった。二人して近くの低山に咲くハルリンドウを見つけて、思い思いにカメラに収めていた。漸く冬が終わり、命があふれ出す春になる、二人の魂も活き活きと動き出すのだという悦びが、小さなハルリンドウの写真に込められていたのだ。花を見つめる君の横顔を見ているのが、僕の大事な時間だった。スミレの類やユキワリイチゲ、ヒトリシズカ、ユキザサ、僕はそんな野の花たちに君と自分の未来を重ねていたのだ。でも、どうやら思い浮かべていたような未来は、やってきそうにない・・・。
大天井(おてんしょう)岳の夜明け。その頂で、八ヶ岳の方角から上がってくるご来光が君を照らした瞬間を撮したことを思い浮かべている。君の後ろに槍ヶ岳と穂高連峰、ご来光を見つめる君の表情は、輝いていて美しくて、希望に満ちていた。それは少しも変わらずいつも僕を惹きつけ続けた。僕たちはそんなことを感じられる山を歩いてきたし、これからも歩くはずだった・・・。
大台ヶ原、大きな山塊の真ん中に位置する日出ヶ岳に至る森は濃い霧に包まれていた。原始の森の中を二人きりで歩いていった。霧の中から突然大きな木が表れ、足元の笹に付いた霧が僕たちの足元を濡らしていた。神秘的な雰囲気に包まれた中で、突然鹿の甲高い哀し気な鳴き声が響いたとき、君は繋いだ手を握りしめてきた。あの時、僕たちは聖なる森への侵入者だと感じたよね。二人して迷い込んだ聖なる森でも二人であることが、一層心強くさせてくれた。あの後、頂上に立つ頃には霧はすっかり消えて、どこまでも広がる山並みと足元に深く切れ落ちた谷を見ることが出来た。深い霧の森と大展望の取り合わせは今でも不思議な思い出になっているよ。
何故だろう、今こんなことを思い出すのは。君と僕は白峰三山の縦走を目指して北岳に登っていた。白根御池小屋を過ぎて草すべりの途中で休憩していた時、君は水筒から水を飲んでいた。君の細くて長いのどがゆっくり動いて水を流しているのを見つめていた。変な言い方かもしれないけれど、あの時君ののどが美しくて、とても愛おしいと感じていた。いや、のどじゃなくてのどの持ち主の君が愛おしいと感じていたのだ。君が腰かけた岩の周りは、ダケカンバの木々が木陰を作り、ミヤマキンポウゲやコバイケイソウがいっぱい咲いていたのを思い浮かべている。おや、おかしくないか。ダケカンバとミヤマキンポウゲやコバイケイソウの取り合わせ・・・。もしかして、この記憶は、いくつかの記憶を重ねて作り上げたものかも知れない。まぁいいさ、今の僕には君の記憶だけが大事なものだから。ひょっとすると自覚できないが、意識が混濁し始めてるのかも知れない。
大雪山を歩いた時のことだ。白雲岳避難小屋のキャンプサイトで一泊して、コマクサが咲き乱れていた高根ヶ原、スレート平を過ぎて平ヶ岳の緩やかな登りで足元に咲く小さな花を君は見つけた。リンネソウ。「かわいい花、目立たないけど懸命に咲いている感じがしていいな、好きだわ」と君は言った。僕が「リンネソウ、別名メオトバナ」と言うと、君は「フフフ、なんだか私たち二人みたい」と笑った。相槌を打ちながら僕も、一つの茎に二輪咲くこの花のように君となれたらいいな、そう思った。大雪山高根ヶ原はアイヌ語カムイミンタラ、神遊びの庭は僕たち二人の心踊る山庭でもあった。
でも、どうやら僕たちはリンネソウにはなれそうにない・・・。
今、僕はありもしないことが見えるようになってきた。終わりが始まってきたのかも知れない。
僕の体を離れた僕はこの雪の山を越えて、君が待ってる街へと飛んでいく。そして、君と手と手を取り合って空を飛び、いくつもの街と山を越えて、海も越えて、深い森の上に広がるカムイミンタラにやってきた。そこで、色とりどりの花が咲き乱れるお花畑で二人は踊る。アイヌの人々が奏でたリズムにのって踊る二人を讃えるようにヒグマやキタキツネやギンザンマシコやナキウサギ、エゾリス、エゾシマリスたちが周りで踊っている。大腿骨が折れて足首は後ろを向いていて、あばら骨が折れて胃に突き刺さっているのに、軽やかに踊ることが出来る。不思議だ、なんだか雪崩にやられたのが嘘のようだ。それに何と言っても、つないだ君の手の感触があり、寄せた君の身体のぬくもりが感じられ、見つめあった黒くて大きな君の瞳がまじかに感じられる、君の息遣いまでが感じれるのが不思議だ・・・。
だから、もう時間なのかもしれない・・・。でも、この幸せな心持のままで・・・。 


エゾノキンバイソウ

白雲岳避難小屋の怪

   

   雨具を打ち続ける雨の中を歩き続けていた。白雲岳のクレーターの外壁を巻くように付けられたハイマツの中の道は雨に煙り、目指す白雲岳避難小屋はその姿を見ることが出来なかった。初めて歩く北の大地の雨は冷たく私を出迎えてくれた。

やがて長い下りを終えると漸く避難小屋の黒々とした姿がぼんやりと認めることが出来るようになった。溶岩を直方体に切り出して重ねた避難小屋はいかにも堅牢に出来ていて、猛烈な風雪にも耐えることが出来るように思われた。

   重い木の引き戸を音を立てて開けると、薄暗い小屋の内部が浮かび上がった。中の扉が突然開き、管理人が顔を出した。大学生だと思われる管理人は笑顔で私に言った。「やあ、雨の中大変だったでしょう。今夜はあなただけですから、どうぞご自由に。あ、ゴミだけは持っていってくださいね。」僅かな宿泊料を受け取ると彼はそそくさと自分の部屋に戻って行った。

   真ん中に土間があり、その両脇に板張りが付けられ宿泊者の居住スペースになっていた。私は一番奥に行き、ザックを降ろし雨具を脱いで、水気をはたいて飛ばした。そして、誰もいない気安さで鼻歌交じりで夕餉の支度に取りかかった。

突然、「随分降られた様だな」と私の背後の小屋の対角線となる方から声がした。ぎょっとした私は声の方に振り返ると、暗がりの中にぼんやりと蒼白い顔が浮かび上がっていた。一人ではなかったのだと思いながら言った。「はい、下着まで濡れてしまいました。小屋にたどり着けてほっとしてます」と私は返事した。気味が悪いのは、その声が人の声帯から発せられたものではないような感じがしたからだった。何か実態のないものが私に向かって声を発している様に感じられたからだった。さっき管理人は私のほかに誰もいないと言った。すると声の主は管理人に見つからないようにこっそりと忍び込んで泊まろうとしているのだろうか。蒼白い顔は雨に打たれ低体温症一歩手前の状態のせいだろうか。そんなことを考えながら夕餉の支度を続けた。気安さは吹き飛び、どこかしら寒々とした心地になっていた。

    夕食を終えると、後は寝るばかりとエアマットを膨らませ、ビニール袋に入れてきた寝袋を出して広げていると、また声がした。「明日はどこまで行くんだ?ヒサゴ沼か?」私は声の主をアオジロと名前を付けていた。アオジロに返した。「はい、ヒサゴ沼まで行きます。少々長い道のりですが・・・」。

    アオジロは続けた。「そうか、頑張るんだな。明日は天気は持ち直すから、楽しめるだろうぜ。途中花が多く咲いている。高根ヶ原にはコマクサが多い、平ヶ岳にはエゾカンゾウ、忠別岳の頂上にはシオガマの類やチシマフウロソウのお花畑が広がっている、忠別沼にはワタスゲが風に揺れているだろう。五色岳から先は花に囲まれた散歩道だ。とにかく美しいルートだ。今日は厳しい山歩きだったろうが、明日はきっとこの山域を楽しむことが出来るだろうな。お前は運がいい」アオジロはその見かけに反して饒舌に語った。「そうですか。そうなら明日は楽しみです。じっくり楽しませてもらいます」私は返事を返した。

    少し間をおいて、アオジロは「五年前、ヒサゴ沼で女性が亡くなった」と一転して重々しく話し出した。

 「旭岳を出発し、白雲岳、忠別岳、化雲岳、トムラウシを経て十勝岳までの縦走を計画していた。登山歴十年、大雪山系を熟知した彼女にとって実力を出せば歩き通せるコースだったろう。一見華奢に見えるが、芯のしっかりした女性だった。その日、ここ白雲岳避難小屋から歩き出した頃は晴天だった。しかし、予想に反してオホーツク海を低気圧が急速に発達しながら通過し、それに伴う寒冷前線が大雪山系を通過して、天候は一変してしまった。突然の冷たい雨と激しい風に苦しみながら彼女は歩くしかなかった。ハイマツが嵐にのたうつ波涛のように見えたに違いない。花たちは雨に打ちひしがれ、風に弄ばれていたに違いない。きっと彼女が見た風景は荒涼としたものだったろう。」アオジロの声はどこかしら嘆きと怒りの響きを伴っていた。

  「あなたはその女性の知り合いだったのですか」と尋ねると、「ああ、俺たちは結婚の約束をしていたのさ」とアオジロは答えた。「病院の霊安室での彼女の顔は安らかだったが、どこまでも白かった。枕もとの銀縁の眼鏡と束ねたお下げ髪が山を歩いていたことを物語っていた」アオジロの声に嗚咽が混じっていた。

   「俺たちは旭川の同じ会社に勤めていた。俺は営業、彼女は事務の仕事をしていた。会社の山登りサークルで俺たちは親しくなり、付き合うようになった。二人とも山にのめり込んで、大雪山系に限らず本州の山まで歩くようになっていた。四季を問わず山に出かけるようになり、それなりに実力も付いていたと思っている。大雪山系を網羅するまで一緒に歩いた」「そうだったんですか。そうしてお二人は結婚を約束されたんですね」「そうだ。子どもを三人つくろう、そして子どもたちが歩けるようになったら山に出かけよう、家を登山口の近くに建てよう、そんな将来のことを話し合っていた。その頃、正直こんなに幸せな日が来るとは信じられなかった」アオジロは続けた。「そして今、こんなにつらい日がやってくるとは思っていなかった。彼女のいない世界は色を失くしている」「心中、お察しします。お辛い思いをされているんですね」と言いつつ、何故、アオジロがそんなに自分を曝け出すのか私には解せなかった。それを受け取るのも少々しんどかった。

   「吹きすさぶ風と打ち付ける雨の中、五色岳を越え、化雲岳から長い雪渓を下る頃には殆ど意識は朦朧としていたのだと思う。そして、ヒサゴ沼のほとり、避難小屋の前で力尽きた彼女はうつ伏せに倒れ込んだ。そして、そのまま誰にも発見されることなく亡くなった。翌朝、避難小屋に泊まっていた登山者が発見したが、すでに彼女は死んでいた。ヒサゴ沼からは携帯が通じない。化雲岳まで一人が登って警察へ連絡して、ヘリを呼んだ。前日と打って変わって穏やかに晴れ渡った空の下、ヒサゴ沼の水面にさざ波立てたヘリに乗せられて彼女の亡骸は大好きだった神遊びの庭を後にしたのだ」陰鬱なアオジロの声が暗い避難小屋の中に響いた。

    翌朝、前日の雨の疲れのためか少しばかり寝坊をしてしまった私が四時に起きた時には、アオジロの姿はなかった。朝早くアオジロは出発したのだろう。慌てて朝食を済ませ、出発の用意を終えると、管理人に声をかけた。

 「おはようございます。これから出ます、お世話になりました」「ああ、」「どうぞ気を付けて下さい。今日はヒサゴ沼までですか?」「はい、そうです。楽しみながら行きます。あの、昨日泊まっていた人は早く出発したのですか?」「いえ、昨日はあなた以外誰も泊まってません。誰かいたのですか?」管理人は訝しがった。「はい、顔が少し青白い男性がいて色々話したのですが・・・」「・・・、やっぱり出たのですね」「はい?」「いや、時々出るという噂があるんです」「はい?」「幽霊が、いや黒岳で亡くなった男性の霊が」

    生物学専攻の大学院生だという管理人は、大雪山系の動物の研究を兼ねて白雲岳避難小屋の管理人をしているという。代々先輩たちから引き継いだ避難小屋のアルバイトだが、黒岳で雪庇を踏み抜いて亡くなった男性の霊が何故か避難小屋に出るという話も受け継いでいた。彼の話によると、亡くなった男性の婚約相手はヒサゴ沼で亡くなったという。男性も雪庇を踏み抜いたということになっているが、親しい人たちの間には、自殺を疑っている人もいるという。

    管理人は最後にアイヌの人たちの言い伝えに、互いに恋しい想いを持ちながら亡くなってしまった二人の霊たちは、ヒサゴ沼のほとりに咲くエゾノキンバイソウになって寄り添うことが出来るというものがあるという。私はアオジロと婚約者がエゾノキンバイソウになって寄り添うのを想像しながらヒサゴ沼へ向けて歩き出した。 


コイワカガミ

天国への手紙飛行機

本当にお久しぶりです。もうあれから三十五年になるのですね。

私のことを思い出すことなど、おありでしょうか。私はあなたのことを一日も忘れることなどありませんでした。山々をあなたの後を付いて登ったこと、その山であなたがおっしゃったことたち、お話になるときの笑顔、遠くの山の名前を教えていただいたときのあなたの横顔と声、一歩一歩絞るように登りつめるときのあなたの足元などなど。

私達の山登りの会「コザクラ」は五人でしたね。あなたとAくん、Bくんの男性三人、Cさんと私の女性二人。気が合って、安心して山を歩ける仲間でしたね。少し日を重ねる縦走の時には、テントを男性達が担ぎ、設営をし、炊事を私たちが担当しましたね。会の山行はひょっとすると、あなた達男性にとっては少し物足りないものだったかもしれませんね。何故なら、Cさんと私に合わせてアップダウンの少ないルートだったり、少し厳しコースのときには、日を多くしたり・・・。もしかすると、あなた方男性三人は、私達女性が登って喜ぶのを山行の目的にしていたのではないですか。少し気恥ずかしい言い方ですが、あの山行を重ねていた日々は輝いていて、私にとって、まさに青春の日々でした。

今だから、正直に申し上げます。私はあなたに恋をしていました。恋焦がれていました。あなたと一緒に暮らし、あなたに付いて登る。そんな人生が私にとって至上のものに違いないと信じていました。あなたと特別な関係になりたい、しかし、コザクラの会も居心地がいい。その均衡は保ちたい。私は深い葛藤の中にあったのです。

まだまだ登りたい山は沢山ありました。北の大地の背骨を形作る山々、北の島の高い山、アイヌ語で地の果てるところを意味するさいはての山。そこには花々が咲き乱れ、アイヌの人たちの神様が遊んでいる・・・。東北の山にも魅かれていました。世界一の豪雪がはぐくむ深い沢と長い尾根を登ると、花々が待っている尾根歩きが出来る。緑なすたおやかな尾根をあなたと歩きたい・・・。そう思うだけで、居ても立ってももいられない程でした。「まだ、中央アルプスには登っていないね。上り下りが大変だけど、南(アルプス)の南部も魅力的だよね」あなたのそんな言葉は私をもう殆ど翻弄したのでした。恋焦がれていながら、そんなことを語るあなたを少し憎らしくさえ覚えたこともあったのです。

 
まだまだ多くの山に登れる、多くの山に付いて行ける、私はそう信じていたのでした。年老いるまで一緒に登れる、死ぬまで付いて登れる、言葉には出しませんでしたが、私はそう確信していたのでした。
ですが、本当に突然、あなたはいなくなってしまったのでした。
三十五年前の冬、鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳の吊尾根で、あなたは雪庇を踏み抜いてその山の岩壁の下にあるといわれていた「カクネ里」に消えたのでした。私は信じられませんでした。あなたの不在も、あなたのいない世界も、あなたのいない世界にいる自分も。虚けたように過ごす年月がありました。私からあなたとあなたと行く山を奪われると、何も残らなかったのでした。何も感じない、何も考えない、ただ呼吸をするだけの存在となったのでした。今振り返ってみても、よく生き永らえることが出来たと思います。
それから数年後、お見合いをして結婚しました。夫は普通の会社員で、口下手だけど、真面目で優しい人でした。二人の子どもに恵まれて、無事子育ても終えることが出来ました。平凡な日常に、私は満足していましたし、幸せも感じていました。もちろん、そんな中でもあなたのこと、あなたと歩いた山のことを思い出さない日は一日たりともありませんでした。そのことに後ろめたい思いはありません、夫も子ども達も、懸命に愛してきたからです。
 「定め」という言葉があります。私にとってあなたを亡くすこと、夫と結婚すること、子ども達を産み、育てることは「定め」だったのだと思います。悲しみも喜びも、絶望も希望も併せ流れる私の人生は「定め」だったのだと、今、思っています。
実は、半年前につれ合ってきた夫を亡くしました。平凡な会社員でしたが、仕事にも家庭にも一生懸命に歩んだ人でした。これまで頑張って生きてきて、「さぁ、定年、老後はどう過ごそうか」という矢先に、癌が見つかり、一年半の苦しい闘病生活の末、亡くなりました。最後に私を呼び、「ありがとう、幸せだった」という言葉を残してくれました。夫も心残りがあったのでしょうが、最後の言葉通りに折り合いを付けてくれたことは、私も安堵することが出来たのでした。 


葬儀や法要が終わり、ひっそりとした家で夫の遺影の前で、夫の人生は何だったのか、夫はそれをどのように受け止め、どのように折り合いをつけ、旅立っていったのか。そう問いかけるときにはね返るように、私の人生は何なのか、という問いが湧いてきました。これまで夫や子ども達と一緒に長い坂を、喘ぎ喘ぎ登って来たような年月でした。もちろんそんなことに不満はありません。間違いであったとは露ほども思いません。では、今からはどうするのか、私の人生は終わったわけではない、では、何をして残された時間を過ごすのか。

今まで、山を忘れていました。いえ、考えないことにしていたのです。そう自分に問うた時に、むくむくと、あの夏の高山の入道雲、いえ、あなた流に言えば雄大積乱雲のように「山に登りたい」という想いが頭をもたげてきたのでした。早速、山の店に行き、あなたから教えてもらった山の三種の神器、靴とリュックとカッパ(今はレインギアと言うらしいです)を買い求めてきました。そして、今年の春、あなたと歩いたことのある九重連山を一人で歩きました。あのときのことを一つ一つ紡ぐように思い出しながら、岩や土を踏みしめてきました。温泉のある山小屋に泊まり、坊ガツルから雨ヶ池を越えて長者原へ、ゆっくりゆっくり歩いてみたのでした。白くかわいらしい花をいっぱいつけたアセビが何故「馬酔木」と書くのか、あなたが教えてくれたのを思い出しながら本当に懐かしい山登りをすることが出来ました。もちろん、あなたはいるはずもないのですが、すぐそばにいて声をかけてくれているような思いを持ったことも付け加えねばなりません。九重連山に味を占めた私は、週に一度と言わず、四日に一度のペースで山を登るようになり、今は生活の中心に山登りがあると言ってもいいくらいになってしまいました。あなたの思い出に溺れてしまうわけでもなく、夫のことを忘れてしまったわけでもありません。むしろ山にあるときは、あなたからも夫からも解き放たれ、山そのものと同化出来ているのかもしれません。心も身体も自由を感じるからなのです。何より、山で出会う様々な植物もひょっこり出会う動物も、鳥の啼き声も頬をなでる風の音も、陽の光も流れる雲も、岩も土までも全てが愛おしく思えるようになりました。      

私は人生で大切な人を二人亡くしました。あなたと夫。あなたを亡くした後は、生きる力も歩む道もなくしました。そして、夫と結婚し、子どもを育て、ここまで歩むことが出来ました。夫を亡くした後は、再び歩む道を見失うことなく、見出すことが出来ました。が、それは「あなたについてゆく」でもなく「あなたの後を歩んでゆく」でもない、「自ら歩む」と言うことなのです。それは山ばかりではありません、これから何年なのか知りませんが、残りの生を自分の足で歩むということなのです 。

 

今、私は、鹿島槍ヶ岳の冷(つべた)池山荘の剣岳がよく見える食堂で、この手紙を書いています。途中、以前あなたから教えていただいたコイワカガミを見かけました。花を見かけた途端に、名前が出てきたことを嬉しく思いました。忘れていなかったのか、そっとあなたが教えてくれたのか。俯き加減に咲くピンクの花がとても愛らしく思えました。

明日、あなたがいなくなった尾根を辿り鹿島槍ヶ岳に登ります。そして、頂上でこの手紙を紙飛行機に折って、飛ばします。上昇気流に乗って、どこまでもどこまでも上がってゆき、きっとあなたに届くことだと思います。安心してください、環境にうるさいあなたに怒られないように、紙もインクも自然に帰るものを使っています。

この手紙飛行機が指先から離れ、どこまでも上昇してゆき、碧空に消えるとき、私の心は解き放たれ、どこまでものびやかであることでしょう。

 primulaだより 95号 2017.3.13